« 狐は腹立ちまぎれに言いました。「ふん、あのアカデミズムは酸っぱいに違いない」 | トップページ | 笛育市民大学講座(嘘知識) 料理『鍋ジンギスカン』 »

2009年11月11日 (水)

今日の更新情報(11/11)

★笛育新聞社(嘘ニュース)更新しました。

『「キリスト教は戦闘的」と小沢氏、仏教は称賛

http://fueiku.cocolog-nifty.com/news/


(古賀)

« 狐は腹立ちまぎれに言いました。「ふん、あのアカデミズムは酸っぱいに違いない」 | トップページ | 笛育市民大学講座(嘘知識) 料理『鍋ジンギスカン』 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ニーチェよれば、キリストは西洋に生まれた仏陀だそうです。
『反キリスト』より

投稿: おおくぼ | 2009年11月12日 (木) 01時08分

>おおくぼさん

ニーチェはキリスト教には批判的ですが。キリスト本人と仏教は評価していますからね。

投稿: 古賀 | 2009年11月12日 (木) 20時34分

仏教は癒しに役立つ・・・みたいなことを言ってますね。

でもオウム真理教は、仏教と言えるかどうかわかんないけど、戦闘的でした。
戦国時代は、仏教集団は戦国武将を悩ます戦闘集団でした。

投稿: おおくぼ | 2009年11月13日 (金) 20時39分

>おおくぼさん

>でもオウム真理教は、仏教と言えるか
>どうかわかんないけど、戦闘的でした。

どのへんまでを仏教と考えるかによるでしょうね。

ちなみに私は文献からできるだけ開祖(釈迦)の教えを忠実に再現したものが仏教、その教えに基づいて戒律を守り八正道を実践するのが仏教徒と考えています。

だから唯識派や中観派がいかに高度な哲学であろうと、それが開祖(釈迦)の説いた教えに忠実でなければ厳密には仏教とは言えないのではと思っています。

まあそれはそれとして、歴史的に仏教と言われていたものを全て仏教と認めるなら、当然戦闘的な宗派や集団もあったでしょう。

投稿: 古賀 | 2009年11月13日 (金) 22時04分

宮元啓一さんの古代仏教研究を読んだりしてますが、難解で理解に苦しみます。

『聖書』は解りやすい言葉で書かれていますが、キリスト教神学は難解だったりします。

聖書を読むと、自分は争いを起こすためにやって来たというキリストの台詞があります。
やはり、キリストの教えは戦闘的かもしれない。

投稿: おおくぼ | 2009年11月13日 (金) 22時18分

十字軍なんてのもありましたから戦闘的ですね。>>キリスト教

投稿: 猫遊軒猫八 | 2009年11月13日 (金) 22時20分

>おおくぼさん

>宮元啓一さんの古代仏教研究を
>読んだりしてますが、難解で
>理解に苦しみます。

ちくま新書の『仏教誕生』の中でお釈迦様のことを「経験論とニヒリズムに裏打ちされたプラグマティスト」と言っていた方ですね。面白い解釈だと思います。

原始仏教についての解説書は大体「仏教はインド思想の一つ」と考えている人の著作の方が面白いですね。


投稿: 古賀 | 2009年11月13日 (金) 22時56分

>猫遊軒猫八さん

>十字軍なんてのもありましたから
>戦闘的ですね。>>キリスト教

どんな宗教も時代や状況によっては戦闘的になりますからね。戦闘的にならない宗教があったとしたらそれはたぶん死んだ(滅んだ)宗教です。

どこかの本で非殺生の戒律の厳しいジャイナ教も防衛戦争は認めていると読んだことがあります。

投稿: 古賀 | 2009年11月13日 (金) 23時08分

唐沢さんは、宮台さんの『終わりなき日常』に大きな影響を受けやふしがあるのですが・・・。
小室直樹の影響は明言しているけど、宮台さんの影響は明言してないので、推測ですけど・・・。

戦闘的な宗教集団は、ノストラダムスの予言(後世の人が勝手に解釈しただけですけど・・・)、のように終末幻想が好きなのではないでしょうか?

ハリウッド映画でも、人類の危機とか、地球の危機がよく出て来ます。
危機を防ぐために戦わなければいけないみたいな感じで・・・。

投稿: おおくぼ | 2009年11月14日 (土) 09時28分

>おおくぼさん

確かに『終わりなき日常を生きろ』の宗教学者批判の部分なんか似てますね。

ただ小室先生や宮台さんは不勉強な学者や評論家を批判する「もっと徹底して学問しろ」の立場なので、唐沢さんのアカデミズム批判とは本来異なるものだと思います。まあ既成アカデミズム批判とアカデミズム批判は見た目には似ているので。

終末論はどんな宗教でも危機的状況には持ち出されて来るような気がします。ただ教義学的に固まってしまった既成宗教の内部では出にくいという面はありますね。

私は全く異なる宗教の中で同じような機能を持つ教えや考えが出てくることに割と興味を持っています。

投稿: 古賀 | 2009年11月14日 (土) 09時58分

終末幻想や破滅幻想の魅力から逃れること・・・
宮台さんのマッタリ革命です。
『うる星やつら』のように非日常が日常化して、永遠に続くのです。

>「・・・・唐沢さんのアカデミズム批判とは本来異なるものだと思います。」

唐沢さんは都合の良い部分だけつまみ食いをするのが得意なのです。
あと自分を棚上げすることとか・・・。

>「私は全く異なる宗教の中で同じような機能を持つ教えや考えが出てくることに割と興味を持っています。」

唐沢さんも同じだと思います。
でも唐沢さんは杜撰というか、似ている部分があるというだけで、決めつけしたり・・・。

ところで「岸田日記」に書いてある通り、唐沢さんは、「と学会」の成立の頃は、今ほど偉そうじゃなかったという気がしました。
「と学会」に入って、学者気分になってしまったという気がします。

投稿: おおくぼ | 2009年11月14日 (土) 17時45分

>おおくぼさん

>終末幻想や破滅幻想の魅力から逃れること・・・
>宮台さんのマッタリ革命です。

本来の仏教は終わりなき日常を生きつつ終末論を呼び込むような超越的価値にも頼らない生き方を唱える「マッタリ革命」なんですけどね。

>唐沢さんは、「と学会」の成立の頃は、今ほど
>偉そうじゃなかったという気がしました。

山本さんも初期の頃はそれほど偉そうな感じでもなかったんですけどね。

>「と学会」に入って、学者気分になってしまったという気がします。

と学会自体が疑似アカデミズムとして機能している面がありますから。
と学会の構成員は大体「あれは遊びの集団だ」と言って疑似アカデミズム性を否定することが多いですが、こういうことは構成員がどう思っているかではなく外部から集団の機能を分析した結果で判断するものなので。

宗教でも教義と実態が乖離している現象はいくらでもあります。

投稿: 古賀 | 2009年11月14日 (土) 19時23分

池田信夫さんの記事では、またまたニーチェの理論を使って、現代日本の経済政策を論じています。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51312295.html

柄谷行人を彷彿とさせます。

投稿: おおくぼ | 2009年11月15日 (日) 11時51分

>おおくぼさん

>柄谷行人を彷彿とさせます。

池田信夫さんのブログはそんなにきっちり読んでいるわけではないのですが、たぶん柄谷さんとは全く違うタイプかと。

柄谷さんは思考の徹底化の過程で、マルクスやニーチェやウィトゲンシュタインを自分なりに形式化していく感じですね。『探究』においてウィトゲンシュタインの思想を「他者」という形で簡潔に形式化したのがわかりやすい例かと。

投稿: 古賀 | 2009年11月15日 (日) 12時38分

たしかに柄谷さんの魅力は、形式化というか、抽象化だと思うんです。
古典を独自の解釈で、論理的に概念化していくところが魅力です。

でも他方で自分の作った理論を使って、いろんな社会現象や文芸作品を分析しています。

この二つの仕事は、厳密には分けて評価すべきだと思います。

唐沢さんの仕事は、柄谷さんと違って、後者だけだと思うんです。
盗用&改竄+妄想ガセネタ=雑学本もありますが・・・。

投稿: おおくぼ | 2009年11月15日 (日) 12時56分

追記

池田さんと柄谷さんの共通点と言えば、偉そうなところです(笑)。
唐沢さんも「と学会」に入って、偉そうになったそうですが・・・。

知識人は自分のことを、「全てを知っている神様」だと過信してしまう傾向があるのかもしれません。
あるいは、庶民の知らないことをいろいろ知っている→自分達は庶民より偉い→エリート(貴族階級?)と勘違いしたり・・・。

特に唐沢さんは『トリビアの泉』があったりしたから、取り巻きが、「ヨッ!雑学博士」みたいにおだてたのでしょうか?

投稿: おおくぼ | 2009年11月15日 (日) 13時23分

>おおくぼさん

>この二つの仕事は、厳密には分けて評価
>すべきだと思います。

あと政治活動の実践と。

宮台さんは政治活動の側面では柄谷さんを反面教師にして動いている感じがします。
浅田さんはそれに対して「コントロール志向」と多少批判的です。浅田さんは自立した個人がその時々によって連帯して活動するのがいいと考えているので。

>知識人は自分のことを、「全てを知っている
>神様」だと過信してしまう傾向があるのかも
>しれません。

それは柄谷さんより前の世代の評論家の吉本隆明さんあたりから言われている古い問題ですが、本来マルクス主義みたいに知識人が大衆を引っ張る(ゆえに知識人は全てを知っている必要がある)という図式と無縁のはずのオタクに、『オタク知識人』『オタク大衆』みたいな感じで似たような傾向が出てくるのが興味深いですね。

『雑学』『アニメ』『SF』『超常現象』とか自分の得意分野を評論していたはずなのに、いつのまにか社会問題を語りはじめルサンチマンにつけ込みながら『オタク大衆』を教導しようとする『オタク知識人』問題というのがあると考えています。

池田信夫さんについてはもっと良く知ってから語ろうと思います。

投稿: 古賀 | 2009年11月15日 (日) 17時45分

池田信夫さんはアカデミズムの狂犬として有名です。
山形(浩生)さんの翻訳を酷い日本語と言って嫌っています。
山形さんが嫌いで嫌いでしょうがないみたいです。

切込隊長こと、山本一郎さんが池田信夫ウォッチャー記事をよく書いています。

池田信夫さんの毒舌書評 ↓

http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/ikenai.html


経済学とIT社会論が得意分野。
山形先生や切込隊長と分野がかぶります。


投稿: おおくぼ | 2009年11月16日 (月) 20時07分

>おおくぼさん

>山形(浩生)さんの翻訳を酷い日本語と
>言って嫌っています。

まあ、山形さんの訳は好き嫌いがわかれるような気はしますね。

そういえば山形さんのブログにこういう記事がのっていたことがあったのを思い出しました。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070219/p1


投稿: 古賀 | 2009年11月16日 (月) 23時13分

そのリンク記事は、いろんなブログや掲示板を巻き込んで大論争になりました。

池田さんが評価する本を、なぜか山形さんが翻訳するので、憎さ百倍になったんだと思うのです。

最初の山形・池田論争は、著作権で有名な憲法学者ローレンス・レッシグのご高説をどう解釈するかでした。
私には、二人の主張に大きな違いは感じられなかったのですが、大喧嘩になりました。

投稿: おおくぼ | 2009年11月16日 (月) 23時30分

「唐沢俊一検証blog」に唐沢さんの遺伝子理解へのツッコミがありました。
唐沢さんは、「と学会」でもトンデモと評判の竹内久美子と同類なのでしょうか?

ただ竹内さんはトンデモ全開なのに対し、唐沢さんは隠し味のように小出しにしているので、注意しないと気づかないのですが・・・。

投稿: おおくぼ | 2009年11月16日 (月) 23時36分

>おおくぼさん

>最初の山形・池田論争は、著作権で
>有名な憲法学者ローレンス・レッシグ
>のご高説をどう解釈するかでした。

それは興味深いですね。

>唐沢さんは、「と学会」でもトンデモ
>と評判の竹内久美子と同類なのでしょ
>うか?

唐沢俊一検証blogにも書きましたが、本家よりもさらに劣化が激しいような気がします。

『トンデモ本の世界』の竹内久美子さんの著作『小さな悪魔の背中の窪み』に対する山本さんのツッコミは、ほとんどが唐沢さんにもあてはまりそうなものばかりですね。

「ドーキンズの利己的遺伝子説そのものは、決してトンデモないものではない。竹内氏のすごいところは、それを無制限に拡大解釈した点にある」P59

「そうした根本的無知やいいかげんなデータをもとに論理を展開するのだから、内容がハチャメチャになるのは当然である」P60

「要するにこの人、深い考察や実証などを無視し、その場その場の思いつきで書いているだけなのである」P64

投稿: 古賀 | 2009年11月17日 (火) 00時14分

オオオオ!!!!山本会長の語録を使って、「唐沢俊一はこんなにトンデモ!」という本が作れますね。

盗作だけど・・・(笑)。

投稿: おおくぼ | 2009年11月17日 (火) 01時24分

>おおくぼさん

『トンデモ本の世界』『トンデモ本の逆襲』は、まるで唐沢さんを批判しているとしか思えない山本さんの言葉で満載ですよ。

投稿: 古賀 | 2009年11月17日 (火) 06時38分

学会の人は、唐沢さんに会長の文章を熟読するようにメールで諭してあげるといいと思うんですけど・・・。

『と学会年鑑』の第一号を読むと、山本会長は、最初会長職には自分ではなく、唐沢さんあたりを考えていたという発言があります。
もし唐沢さんが「と学会」会長だったら、「と学会」は全く違う会になってたと思うし、山本会長も唐沢さんのことで苦悩する必要もなかったでしょう。
今からでも遅くないので、山本会長は会長職を唐沢さんに譲ればいいのでは(笑)。

投稿: おおくぼ | 2009年11月17日 (火) 11時17分

>おおくぼさん

>今からでも遅くないので、山本会長は
>会長職を唐沢さんに譲ればいいのでは(笑)。

まあ毎年とは言わなくても時々会長を変えた方がいいような気はしますが。唐沢さんではなく、誰かもっとまともな人を。


投稿: 古賀 | 2009年11月17日 (火) 21時15分

最近の唐沢さんの言動に対し、怒っている方が多い気がします。

ところで永井均さんの『ルサンチマンの哲学』が文庫化されました。
興味深い箇所がありましたので、引用します。

誰かが私に「君はテニスが下手だね」と言ったとき、私が「下手なのはわかっているけど、うまくなろうとは思わない」と言ったとすれば、その人は「それならそれでいい」と言うだろう。
しかし、私が誰かにひどい嘘をつき、その人が私に「君のしたことは畜生も同然だ」と言ったとき、私が「ひどいのはわかっているけど、行いを改めようとは思わない」と言ったとすれば、その人は「それならそれでいい」と絶対に言えないだろう。
その人は「いや、君は行いを改めようと思うべきだ」と言うだろう。

投稿: おおくぼ | 2009年11月17日 (火) 22時14分

>おおくぼさん

そのへんはウィトゲンシュタインですね。

投稿: 古賀 | 2009年11月18日 (水) 06時25分

その通りです、鋭いですね。
永井均さんの本は、ウィトゲンシュタイン以外の哲学者を論じていても、ウィトゲンシュタインが出て来る場合が多いです。

今回引用した一節は、吉本隆明さんの「関係の絶対性」を連想しました。
関係は相対的で、流動的ですが、どうしても譲れないというか、許せないという気持ちになったりします。

また、ただの悪口では怒らない人でも、デマには怒ったりします。

投稿: おおくぼ | 2009年11月18日 (水) 11時57分

>おおくぼさん

吉本さんの「関係の絶対性」については柄谷さんの著作で間接的に読んだだけですが、人をその置かれた状況と無関係にマルクス・レーニン主義に「正しく」従うか従わないだけで判断する党派的発想を批判する考えだったと思います。

投稿: 古賀 | 2009年11月18日 (水) 20時29分

私が「関係の絶対性」について知ったのは、柄谷さんの著作からです。
『ヒューモアの唯物論』に入っている「ライプニッツ症候群 吉本隆明と西田幾多郎」です。
部分的に引用すると・・・

「現在われわれは、さまざまな形でのライプニッツ的思考を見出いだすことができる。
それは、西田哲学やニューサイエンス(ホロニックス)だけではない。
こういうものは、あまりにもはっきりしているために、わざわざいうまでもあるまい。
ライプニッツ的思考のタイプとしては、構造主義がある。
それにかんしては別に論じることにする。
ここでまず私が取り上げたいのは、吉本隆明である。
実をいうと、吉本はあの有名な「関係の絶対性」という主張において、ラッセルのいう還元できない関係の外面性を提起していたいってもよい。」

このあと長い説明のあとに、柄谷さんは、吉本さんの「マチウ書試論」を引用します。

投稿: おおくぼ | 2009年11月19日 (木) 23時52分

>おおくぼさん

初期の柄谷さんは「理性に還元できないもの」にこだわっていたので、そのへんに吉本さんの「関係の絶対性」との接点があったように思います。

実のところ『マチウ書試論』をきちんと読んでないので、いろいろ論じられるほどには「関係の絶対性」という考えを咀嚼してはいませんが。

投稿: 古賀 | 2009年11月20日 (金) 20時29分

ただ、柄谷さんもマルクス・レーニン主義にだけ、こだわっていないと言うことを言いたいなんです。

あと「マチス書試論」は、吉本さんのキリスト教考察なんで、ニーチェ思想っぽいかなあ〜と思っただけです。
深い意味はありません。

柄谷さんは、ラッセルとか西田幾多郎とか九鬼周造の路線で語っていて、戦前の京都学派と論理学の哲学の流れなんです。
ちなみに永井均さんに柄谷さんの『探究』批判的考察があって、関係性の話だったりします。

投稿: おおくぼ | 2009年11月20日 (金) 21時11分

追記

たしか吉本さんは日本共産党には批判的だったと思ったのですが・・・。
廣松渉さん思想は吉本さんと似ていると言われますが、違う点は、マルクス・レーニン主義に対する態度だと思います。
柄谷さんは元ブントですが、マルクス・レーニン主義には批判的ですね。

柄谷さんの「理性に還元できないもの」は、その後「固有性」や「非対称性」などに概念化されていると思います。

投稿: おおくぼ | 2009年11月20日 (金) 21時25分

>おおくぼさん

吉本さん、廣松さん、柄谷さんは、まだ「マルクスについて何か語らなければならない」というところがあると思います。

宮台さんや、東さんにはそういうところはないですね。

>ちなみに永井均さんに柄谷さんの『探究』
>批判的考察があって、関係性の話だったり
>します。

「イエスが共同体において排除されている異者を見ず他者を見いだしたこと」を柄谷さんが肯定的にとらえているのに対し、永井さんは「世界宗教という外部なき空間を作り上げた」と否定的にとらえていますね。

投稿: 古賀 | 2009年11月20日 (金) 22時07分

宮台さんや、東さんは教養としては、マルクス主義をご存知でしょうが、特別に語る必然性を感じないのでしょうね。

はい、永井さんと柄谷さんは評価が逆転してますね。

引用すると・・・

「ニーチェは「神の死」を語った最初の文章の中で「われわれが神を殺した」と書いた。
この「われわれは」もちろん「われわれ≪キリスト教≫徒」と読まれるべきであり、その先鞭をつけた人物は、いうまでもなくイエスであった。
イエスこそが「神の殺害者」なのである。」

キリスト教批判は厄介ですね。
ニーチェのキリスト教批判も、危うさがあることを永井さんは『ルサンチマンの哲学』で指摘してますが・・・。

投稿: おおくぼ | 2009年11月20日 (金) 23時07分

>おおくぼさん

柄谷さんはマルクスの資本主義批判に重ね合わせる形でイエスのユダヤ教批判を見ているような気がしますね。そのへんに「世界宗教」を肯定的に評価する理由があるような。

永井さんは道徳上の奴隷一揆の成功として「世界宗教」を見ているので。

>キリスト教批判は厄介ですね。

スピノザはニーチェと違って正面きってではなく理論の精緻化の結果としてキリスト教的道徳価値を実質的に無化するのでなかなか面白いですよ。

投稿: 古賀 | 2009年11月21日 (土) 08時40分

『トンデモ本の逆襲』では、スピノザの幽霊論争が取り上げていて、爆笑しました。

永井さんの批判は鋭いのですが、柄谷さんの概念が否定されるどころか、むしろ理解するのに役に立ちました。

永井さんの批判の第一のポイントは、どうして柄谷さんは、学ぶ側を無視するのか?です。
そこから、キリストに対する評価が真逆になります。

唐沢俊一さんの『社会派くんがゆく』を読んでよく感じるのは、論理的な杜撰さです。
内容は、永井さんや柄谷さんや宮台さんや中島(義道)さんに共通することが多いのに・・。

投稿: おおくぼ | 2009年11月21日 (土) 11時54分

>おおくぼさん

>どうして柄谷さんは、学ぶ側を無視する
>のか?です。

これは柄谷さんがマルクス(「売る」-「買う」)とウィトゲンシュタイン(「教える」-「学ぶ」)に同じ形の「命がけの飛躍」を見るからでしょうね。

永井さんが言うように「商品は売れなければ屑にすぎないが、言葉は学ばれなくても屑にはならない」から「教える立場」と「売る立場」は全く違うというのを認めると、ウィトゲンシュタインとマルクスを重ね合わせる柄谷さんの図式は崩れてしまうので。

>唐沢俊一さんの『社会派くんがゆく』を
>読んでよく感じるのは、論理的な杜撰さ
>です。

ニーチェがどこかで論理的に言うより単に断言するだけの方が説得力が出るみたいなことを書いてました。

まあ「内容をきちんと吟味したいからもっと論理的に言ってくれ」なんて客層はそもそも相手にしていないでしょうね。

投稿: 古賀 | 2009年11月21日 (土) 13時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/78610/46738687

この記事へのトラックバック一覧です: 今日の更新情報(11/11):

« 狐は腹立ちまぎれに言いました。「ふん、あのアカデミズムは酸っぱいに違いない」 | トップページ | 笛育市民大学講座(嘘知識) 料理『鍋ジンギスカン』 »